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2026年9月9日水曜日

「問い詰め」問題と「答えのない問い」

こういう人がいるとしたら、これまでの人生でずっと納得のいく説明を受け続けていたんだろうか。そういう環境にいたのでないとしたら、本人の性格という話なんだろうけど。そしてそれが「相手による」ということであれば、関係性のほうになにか問題を抱えているのでは
https://anond.hatelabo.jp/20260906221615

以下はメモ的なテキスト。

この書き手の、「誠実さの要求」が相手にとって「不快」を上回る、回答すべき当然のコストだと思うところがよくわからない。答えにコストをかけたくない質問もある。
「説明によって納得がいく」タイプの人間にとって説明は必須なのだろうけど、たいていの人は自分のことも他人のこともたいしてわからない&わからないままにしてるので、そこをわかるためには手間がかかる(わかると思っている人もいるけど、それは誤謬ではないだろうか)。そのコストを他人に要求するのは当然なのだろうか。いや、ただの他人ではないから当然と思っているのだろうけど。

そういった会話コストを負担に感じるようになっていくと、だんだんと「親しみ」が「他人」の距離へと変わっていくのだろうな(逆に言えば、このコストを感じない人同士はより親しみを感じやすくなる)。

「問えば答えがある」と思うというのは、それ自体べつに問題ないけど、答える側とすれば、

  • 実際に答えがない場合がある
  • あるいはその問いに興味があまりない場合もある

そして問う側への疑問としても、

  • 答えがない場合を想定しないのはなぜか(をなぜ自分に問わないのか)
  • 答えがない場合を不満に思うのは自分の都合では
  • 答えについて納得するかどうかも自分次第だけど、そのコストまで他人に求めるのはなぜか(問う自由があるなら、答えない自由もあるのに)

つまり、「答えがない状態」がこれらを考慮する以上に問う側の自分にとって苦痛(不満)、ということなのだろうか。そこを回避するためにさらに問いを発してしまうと。
そう考えて最初↑に戻ると、「納得のいく説明を受けていた」環境とは逆で「納得のいく説明を受けていない」環境にいたのかもしれない。そういう不満や不安をずっと抱えていたのかもしれない。ただそれを推測しても、あまり解決(というか答え)にならない気がするが。

会話というのはすり合わせなので、すり合わせができなければそこでいったん打ち切るしかない。ほかにすり合わせる方法が見つかれば、それを試す。不満があるからといって同じ棍棒で同じように殴り続けるのではあまり効果がない。同じ方法を繰り返すのは時間のムダというか、(自分の不満のために)自分と他人の時間をムダにしている(そこで世の中はさぁルールだ、罰則だという方向へ動く)。

この書き手の、わからないことをわからないと受け入れられない、受け入れたくないというのはどちらかというと閉じた自己のなかの話(問題)なのでは。
書いているものを読んでも、自分の気持ちと理屈は並べられるのに、相手がどういう気持ちなんだろうかという想像がほぼ出てこないところが一方的すぎて、かなり特殊な(一方的な)関係性の持ち方だろうなと思う。他者との会話なのに、他者が存在していない。棍棒が少ない。
だから、あらかじめ他者とのあいだに問題があって〜というよりは関係性の持ち方(本人の内面と、そこから発する会話の持って生き方)に問題があるので問題が発生する。

おそらくここまで極端な人というのは珍しいのではないかと思うけど、なにかしら思い当たるところがある人もけっこういるので、これだけ話題にもなったのだろうなあ。

あと「答える」コスト(つまり負担に思うという感覚)は人によって(おそらく男女で)かなり違うんじゃないかとも。たとえばそのコストを避けるために「軽口」があるんだけど、「問う」側からすると答えを得られていないわけで、そこを不快に思う人もやはりいる。「問い」の内容の重さ(まじめに受け取るべきかどうか)と、「問い」そのものの重さ(なんであれ答えるコスト)。

あいさつが便利に使われるのはこのコストが双方にほぼゼロ(とみなされてる)だからだよね、あとLINEのスタンプ。(もちろんそこに過剰に意味をのっけてくるめんどくさい人というのもいて、一方的にコストを上げてくるわけだが)

しかしこの書き手のような人の「問い詰め」を読んでいて思ったのが、すこし前に話題になった「壁打ちの相手」というやつで(教師を相手に壁打ちの相手になってくれとはどういうことだ生徒よ、みたいな話)、まさにAI相手であればコストの問題は解決するのではないか(コミュニケーション問題が解決するわけではない)。

ちなみにわたしは離婚歴があるので(それが原因で離婚したわけではないものの)、コミュニケーション一般についてあれこれ偉そうなことを書いても信用してはいけない。

2026年8月5日水曜日

ケンブリッジ大の最年少黒人教授ジェイソン・アーデイ氏について

いろいろ興味深かったのでメモ。

ジェイソン・アーデイ氏の経歴

  • 3歳の頃に自閉症と神経発達障害の診断
  • 4歳から手話を教わる/11歳ではじめて会話/18歳から読み書き
  • 教育学の博士号を取得したが脳腫瘍の手術で記憶を失い、論文発表の数週間前に内容をすべて覚え直した
  • 35日間で30のマラソンに参加してチャリティ募金(現在まで約9億円)、募金の詳細については「秘密保持契約がある」と説明
  • 「マラソン20日目に足の骨にひびが入ったが完走」と話す
  • 6日間で600マイル(約960キロ)走破と主張(実際には12日間、と訂正)
  • 37歳でケンブリッジ大最年少の黒人教授に(教育社会学教授、23年3月)
  • 「世界中から20万通以上の祝福メール」と話す
  • 「両親の家に腐食性物質や豚の頭が送られ、覆面をしてナイフを持った人物が2度研究室に押し入った」と主張。「豚の頭はすぐに捨て、警察には数カ月後に通報、警察は肉屋を発見した」と主張したが、肉屋も警視庁も否定。侵入者は監視カメラには映らず、本人は報告もしていない。
  • 自分が生まれる前のBBCドキュメンタリー番組に出演したと話す(BBCは否定)

アーデイ氏をめぐる今回の騒動

  • 過去に人種的偏見で懲戒処分を受けたゲント大研究員から、アーデイの博士論文について盗作疑いで告発される
  • 同様の処分を受けたプリマス・マージョン大学名誉教授からも批判
  • きちんと調査すべきという指摘は他の識者からも出ている
  • ケンブリッジ大は擁護
  • アーデイの回顧録を出すサイモン&シュスター社も擁護
  • 支援の請願書には1400名以上の署名(国会議員や著名人を含む)
  • 博士号を取得したリバプール・ジョン・ムーアズ大学は盗作はないと判断

感想

取り沙汰されてるのは
・自身についての虚偽の話
・博士論文の盗作疑惑
で、現在の本人の能力や業績がどうなのかは問題になってない。虚言癖があるとしても、きちんと職をこなしているのであればいいのでは(論文の疑惑が解ければ、ではあるけど)。

以下リンク

Playbooks, plagiarism and a pig’s head: new claims surrounding a star Cambridge professor
https://www.theguardian.com/education/ng-interactive/2026/aug/01/playbooks-plagiarism-pigs-head-new-claims-surrounding-cambridge-professor-jason-arday

3年前のGuardian記事
Jason Arday: he learned to talk at 11 and read at 18 – then became Cambridge’s youngest Black professor
https://www.theguardian.com/society/2023/jul/11/jason-arday-cambridge-university-youngest-black-professor

Cambridge Professor’s Jason Arday’s Work Challenged Ahead of Book Launch
https://www.nytimes.com/2026/08/03/books/jason-arday-cambridge-plagiarism.html?unlocked_article_code=1.21A.gdDI.1lA3JoGpgFsa&smid=nytcore-ios-share

Cambridge professor claimed he was on Seven Up… decades before he was born
https://www.telegraph.co.uk/news/2026/08/02/cambridge-diversity-poster-boy-claims-he-was-in-seven-up/

 

2025年3月21日金曜日

「独居親の遠隔地見守り」にAlexa&SwitchBotが役に立つ

このエントリは複数回にわたって書き足していっているため読みにくくなっているが、とりあえず「Alexaや監視カメラなどを導入するためのそれなりの情報を共有する」という目的のためなのでご容赦を。

まずAlexaを導入

昨年夏に実家にAlexa(正確な名称はEchoだが、同様の機器はすべてAlexaとして機能するので以下アプリ含めてAlexa)を導入した。

これにより、

  • 朝決まった時間にラジオを入れる
  • 同時に天気予報や時報、外気温をアナウンスする
  • 「呼びかけ」機能の利用

ができるようになった。

特に「呼びかけ」はスマホからAlexa、あるいはAlexaからAlexaという形でインターホンのように使えるため、高齢の親にとってはスマホよりも使いやすい上に、手間も電話代もかからない*。呼びかけの音量をこちらから大きくすることもできる。

*Alexaを設置する場合、あるいはSwitchBotを遠隔で管理するにはHUBとWi-Fi環境が必須。回線については後述。


ほかにAlexaだけでできること

  • レンジなどの音が鳴った5分後にレンジ内に食品を忘れていないかアナウンス(家電の動作音を検知してトリガーにすることができる→今のところ作動していない)
  • 親がラジオなどの音を操作した場合、夜中に元の音量にリセット
日本でもAlexa+が導入されれば、話し相手もできるようになるのかもしれない。

追加でSwitchBotを導入

母親が真夏にエアコンを入れていなかったり、暖房と間違えて操作してたりしたので、
  • エアコンの動作を自動化するためにHUBと温湿度計
  • 非常時の室内確認、玄関のセキュリティのためのカメラ各1台
も導入した。
スマホにすでに自宅用にSwitchBotのアプリが入っていたので、すべてSwitchBot製品で統一(たんにアプリを増やしたくないだけで、とくに理由はない)。

SwitchBotだけでできること

ちなみにSwitchBot機器はAlexaがなくてもスマホアプリだけで使える。
  • カメラで動作検知→スマホに通知→遠隔で動画(音声付き)を確認(会話も可)
  • 室内が高温→スマホに通知→遠隔でエアコンON
  • スケジュールでライトのON/OFF
  • 深夜になったらエアコンOFF

たとえば、
  • カメラにある時間帯だけ動作検知させる(午前1時から6時までだけ、など)
といった細かい設定をするのはSwitchBotアプリでのみできる(Alexa側の設定で、その通知をAlexaにしゃべらせることはできる)。Alexa側から見たカメラ画面はかなり簡素なものになる。
また動作検知で通知させると、カメラセンサー内に継続して動作があると次々に通知を送ってくるということになって鬱陶しい。そこでAlexaのほうで「待機時間」を設定すると、一度通知をしたあと、その時間内の動作は通知しなくなる(玄関先での長い話などは再度通知がくる、といった設定が可能)。

SwitchBotとAlexaを組み合わせる意味

SwitchBotアプリだけだとアプリ上の操作だけだが、Alexaがあれば音声で操作/通知が可能になる。
  • カメラで動作検知→Alexaによる音声通知→(アプリもしくは本体に画面があるタイプで)画像による確認
  • 音声で呼びかけて、Alexaにエアコンなど家電のON/OFF(別途HUBが必要)、操作、室温を訊く(別途室温センサーが必要、内蔵のHUBもある)
といったことが可能。
あとは組み合わせとして、
  • 呼びかけをした時にテレビの音が大きい→SwitchBotアプリでこちらから消音(あらかじめそのテレビのリモコンにある消音ボタンを登録する必要がある)
という使い方もできる。

わかりにくいのだけれど、(ぼんやりイメージしてた)Alexaの下にハブを介してカメラなどのセンサー・スイッチ類がぶら下がる「Alexaによる管理システム」↓


というわけではなく、SwitchBotアプリによるシステムがあって、そこからハブを介してAlexaにデータを受け渡しする仕組み(図3)、という感じ。Alexaはあくまで音声によるインターフェースというか。

注意点

よく見かけるSwitchBot製品の「Wi-Fiは2.4GHzだけ」問題。
 実家の場合はルーターから出てる電波のネットワーク名末尾のaをgに変えて接続設定すればOKだった(aが5GHz)。
あとはデフォルトでカメラのLEDがONなので、SwitchBotアプリの設定で切ることができる。
実家はWi-Fiがすでにあったので、Wi-Fi関連のハードルは低くて助かった。

コスト

Amazonのセール時に購入したので、
  • Alexa(Echo Pop)
  • SwitchBot製品(HUBミニ、防水温湿度計、カメラ2台、SDカード)
で2万円ぐらい。
Wi-Fiを新設する場合、これに月々3〜4000円ほどかかる。
しかし、親とAlexaでやりとりしたり、室温などをチェックするだけであれば光回線はオーバースペックに思える。
より廉価な回線については、ほかに以下の方法がある。
  • 「simフリー ルーター」などで検索すれば、simを差すタイプのルーターが売られている。楽天モバイルなどの安めのsimを契約して差す、という方法であれば月1000円程度で済む。USBタイプなどもあり、初期費用は1万円を切る。
  • 「チャージ ルーター」などで検索すれば、あらかじめ100GBのデータ通信が可能なルーター(なくなれば再チャージ可能)が見つかる。初期費用は1.5万円ほど。これで月々どれくらいの通信量かを見て、再チャージする時の目安にすればいいかも。
いずれも作者は使用していないため、参考程度ということで。


結論

総じて想定通りというか。
  • 電話で連絡がつかない時にも遠隔で部分的には確認できる、という安心感
  • 「呼びかけ」による気軽なコミュニケーション
  • プライバシー的に問題のあるカメラを使わなくても、室温の変化で活動のチェックができる
  • カメラの動体検知で朝起きたのを検知→家電ONなどもできる
  • 玄関での詐欺などの不審者対策
あとはドアの開閉センサーやカメラのない動作検知センサーなどもあるので、それぞれ場所に応じて使うといいかも(ドアセンサーは次回設置の予定)。

2025年3月3日月曜日

とりあえず

note、1年ぐらいやったけど、どうも使いづらい&見た目が間延びしていて、更新する気が減退した。Arc BrowserとかLinux Mintの記事とかを書いていた。

https://note.com/wetfootdog

で、こちらに引っ越した。

今のところ、わりといい。まぁ古くからあるし。「Markdown記法は非対応かよ!」みたいなのはあるけど、まぁ古いし(放置されてる感もある)、しかたがない。いつなくなってもおかしくないな。

タイトルは大昔にやっていたhatenaの(今はなき)グループダイアリーから。

雑誌あるいは雑文というものについて

唐沢俊一関連のツイートからネットで読んだもの

(この記事はTumblrに書いたものの転載です)
以下、昨年に唐沢氏が亡くなった日周辺から読んだものを引用しつつ羅列する。感想は後述。
晩年に村上春樹の生原稿を売り払ったという安原顕について。

"出版界という領域を超えたホームページを自分の“会社”とすれば、読書人としてはこれまで通り満喫できるし、編集者としてのトラブルはいっさい生じない。ヤスケンは、その中で気ままに読者と交信することができるのだ"

"私も、栗本さんの八面六臂の活躍を見ていましたが、その少し下の世代から「若い作家志望者があこがれる理想のパターン」(唐沢)と思われていたとは、想像外でした。

というのも、栗本さんの出発点については、ある了解があったからです。

「彼女は、大作家になることを、最初から諦めている」

という。"

"それから……その頃からである、どうも彼女の作品、いや、彼女の書く文章そのものに変調が現れ始めたのは。"
唐沢俊一ホームページ :: 日記 :: 2009年 :: 05月 :: 27日(水曜日)

"あとは、「唐沢俊一の追"討"文の中で栗本薫への追悼だけはよかった」という趣旨のツイートを見たが、あの追悼文が有名ファンサイトからの「無断引用」で、ファンサイトの運営者が怒っていたことは、当時栗本薫ファンだった人のあいだでは有名。"
これは詳細が確認できなかったので参考ということで。

"こんな、ひどい文章を垂れ流して、ファン相手に生温いお友達ごっこに彼女は興じて―― 唖然としながらも、しかしなぜだろう、不思議と、彼女がこの地に流れ着いてしまった、その理由がなんとなくわかる。

彼女がたどり着きたかったのは、気鋭の作家という位置でも、現代の語り部という位置でもなかった。"
苦い追想 ~栗本薫~

"ここ2日ばかり、信用のおける筋から入手した話では剽窃騒動に関係なく、演劇に没頭して以降は既に文筆業の熱意を失っており、文章の仕事を依頼したクライアントに多大な迷惑をかけていたという。"
唐沢俊一氏のおもひで|のざわよしのり

以下動画。

(その1)復活!水道橋博士×町山智浩 唐沢俊一と雑誌時代の『死』#博士町山 - YouTube

(その2)復活!水道橋博士×町山智浩 唐沢俊一と雑誌時代の『死』#博士町山 - YouTube

(その3)復活!水道橋博士×町山智浩 唐沢俊一と雑誌時代の『死』#博士町山 - YouTube

後半の「雑誌文化の衰退」あたりはやはり興味深い。

我々は大きなものをごっそりと失った、という感慨はあらためてある。町山氏はイラストに言及していたが、ほかに写真、編集、印刷といった広告を含めたデザイン文化が失われつつある。

ZINEなどを見ると、こういった巨大な文化が滅びたあとに穴居生活から始める世界、のようなものを連想する。それはネガティブな印象ではないが、おそらく別の文化として成長するものなのだろう。その先にかつてのような雑誌文化の再興はない。

ただ雑誌文化はその作り手と文化が消えつつあるだけで、雑誌そのものはさまざまな形で残っているのだが、ネットの文化、特にブログなどのネットテキスト文化はどんどん消えていて、それこそ跡形もない、というものもある(WebArchiveはすべてを拾っているわけではない)。それがこれからどんな形へと移行していくのか、さまざまな試みがあるがまだよくわからない。ただ後年になっての検証は大変だろう。

"亡くなられた唐沢俊一さんについて、元担当編集者として思ったことをFacebookに書いてみました。何かのご参考になれば。" Shuhei Kawata on X

これも近いところにいた人による興味深いテキスト。

"唐沢氏つながりで町山智浩×水道橋博士による唐沢俊一動画についての話。実はあの動画の結論である、雑誌文化と「雑文書き」の終焉については、まだまともだった頃のご当人自身懸念していたとのこと。雑誌は寄席のようなもので、大御所をトリに中小の書き手達が活躍できる場であるのだから、と" 崎田薫 on X

本人にも自覚があったと。
 

リンク先を読んだ感想

唐沢俊一氏の本や雑学、事件や本人についてはあまり興味はない。短い文章やブログはいくつか読んでいるが、これといった感想は持っていない。読書範囲での接点がほとんどなかったせいもある。

唐沢俊一はなぜYouTubeに行って小銭を稼がなかったのかという話を見かけたが、それは本人にしかわからないだろう。人前に出ることには慣れていただろうに、なにかこだわりがあったのかもしれない。テレビに複数回出て、動画メディアは自分には合わないと感じたのかもしれない。

雑文を書かなくなった原因については「盗作騒ぎのあと、書く場がなくなっていった」「盗作騒ぎの前ぐらいから、そもそも書かなくなっていた」「演劇の方に行って書かなくなった」という説があるようだ。町山氏によれば、雑誌がなくなって書く場所がなくなったということになる。

ひとつ思うのは、90年代から始まって2000年代後半にはネットに雑文を書く人がかなり増え、唐沢俊一レベルの雑文にはあまり出番がなくなったであろうということ。また、そういうところで競うためのベースになるもの、専門的なものがなかったというのも大きいだろうと思う。

90年代以降に顕著だったサブカル的なもの、というのは基本的に裏付けがあろうがなかろうが「面白ければそれでいい」(あるいは「面白がり」)がベースになっていて、なんであれ通俗的な解釈というのはそれでもいいかもしれないが、ネットの時代になるとそれらの粗はすぐに指摘されるようになる。裏付けの甘いものは権威として成立しにくい時代になったということだが、サブカル的なものの裏付けはとくに甘かったということはあるだろう。それ故にあれだけ乱造できたのではないか。

底の浅い「面白ければいい」にはつねに冷水が浴びせられるようになって、いくらそれを積み上げてもなんらかの権威のベースにならない、となれば先は見えている。それに雑学であれ、漫画アニメ映画であれ、「ネタになるようなもの」というのは無限ではない。唐沢が何度も同じネタを繰り返してしまったのも、とくによく知るわけでもないUFOに手を出したのも、そういうことなのだろう。

「書かなくなった」という理由には「書く気(場)がなくなった」というのもあるかもしれないが、そもそも書くネタがなくなったという可能性は高いのではないか。

"私には私の目算がありました。出版に軸足を置きながら、映画やテレビ、音楽、イベントなどさまざまな業界に顔をつっこんで、「今後最もアツくなるのは演劇の世界だ」という確信を得たということです。ここに地歩を築いておくことはめぐりめぐって、モノカキとしての自分に絶対有利に働く(少なくともサブカルチャーの世界に固執するよりは)という結論を出し、その世界の勉強を始めました"
唐沢俊一ホームページ :: ニュース :: イベント :: 12月14日投稿
(2011年/強調は引用者による)

ここなどを読むと、サブカルへの見極めのようなものがあったようにも見える。

しかし距離をおいて見ると、唐沢氏の後半生の生き方にはどこか破滅型作家と似たところがあるように思えるのだけれども、そのことを指摘している人は見かけなかった。それはおそらく彼が生み出したものとその破滅性のようなものがあまり結びつかなかったからだろう。

今回、唐沢氏死去について旧Twitterを見ていて、栗本薫が亡くなったときに見られたような熱のあるファンの話はほぼ見かけなかった。これもひとつの特徴だろう。雑文とはそういうものなのかもしれない。それはおそらくネット上のさまざまな雑文についても同様なのだろう(ここの文章も含め)。しかし「書き捨て」のような潔さもまた雑文の本質であるとするなら、消えていくのもまたよしとするべきなのかもしれない。

唐沢俊一と関連して見かけた栗本薫の共通点というと、やはり文筆から演劇へと惹かれていった点ではないか。そしてその違いは「稼いでる時期」による、自身の生活への影響の大きさかもしれない。

唐沢の年譜を見るに、おそらくは演劇に深く関わりはじめた2011年(53歳頃)が転機となり、2014年以降はほとんど文筆活動をしていないように見える。「演劇にのめり込んだ」と見ていいだろう(裏モノ日記も2013で終わり、のちに演劇ブログを書くようになっている)。盗作騒動があったのが2007年だから、演劇はそこから4、5年ほどということになる。90年代後半から0年代初めが文筆活動の全盛期で、そこからいろいろと怪しくなっていった、という言い方はできるかもしれない。

演劇というものには個人の芸能や、映画のような大きな集団による芸能とはまた違った、その中間的な芸能という魅力があるのかもしれないということはしばしば考えるのだけど、実際に中で携わった経験があるわけではないので真相はわからない。

しかし文芸からそちらへ行った人というのは、おそらくそこに文芸とまったく違う魅力、文芸では埋めることのできない穴を埋められるものを見つけたのだろう。それがなにに由来しているかは、人それぞれだろうと思うが。
 

関連リンク