こういう人がいるとしたら、これまでの人生でずっと納得のいく説明を受け続けていたんだろうか。そういう環境にいたのでないとしたら、本人の性格という話なんだろうけど。そしてそれが「相手による」ということであれば、関係性のほうになにか問題を抱えているのでは
https://anond.hatelabo.jp/20260906221615
以下はメモ的なテキスト。
この書き手の、「誠実さの要求」が相手にとって「不快」を上回る、回答すべき当然のコストだと思うところがよくわからない。答えにコストをかけたくない質問もある。
「説明によって納得がいく」タイプの人間にとって説明は必須なのだろうけど、たいていの人は自分のことも他人のこともたいしてわからない&わからないままにしてるので、そこをわかるためには手間がかかる(わかると思っている人もいるけど、それは誤謬ではないだろうか)。そのコストを他人に要求するのは当然なのだろうか。いや、ただの他人ではないから当然と思っているのだろうけど。
そういった会話コストを負担に感じるようになっていくと、だんだんと「親しみ」が「他人」の距離へと変わっていくのだろうな(逆に言えば、このコストを感じない人同士はより親しみを感じやすくなる)。
「問えば答えがある」と思うというのは、それ自体べつに問題ないけど、答える側とすれば、
- 実際に答えがない場合がある
- あるいはその問いに興味があまりない場合もある
そして問う側への疑問としても、
- 答えがない場合を想定しないのはなぜか(をなぜ自分に問わないのか)
- 答えがない場合を不満に思うのは自分の都合では
- 答えについて納得するかどうかも自分次第だけど、そのコストまで他人に求めるのはなぜか(問う自由があるなら、答えない自由もあるのに)
つまり、「答えがない状態」がこれらを考慮する以上に問う側の自分にとって苦痛(不満)、ということなのだろうか。そこを回避するためにさらに問いを発してしまうと。
そう考えて最初↑に戻ると、「納得のいく説明を受けていた」環境とは逆で「納得のいく説明を受けていない」環境にいたのかもしれない。そういう不満や不安をずっと抱えていたのかもしれない。ただそれを推測しても、あまり解決(というか答え)にならない気がするが。
会話というのはすり合わせなので、すり合わせができなければそこでいったん打ち切るしかない。ほかにすり合わせる方法が見つかれば、それを試す。不満があるからといって同じ棍棒で同じように殴り続けるのではあまり効果がない。同じ方法を繰り返すのは時間のムダというか、(自分の不満のために)自分と他人の時間をムダにしている(そこで世の中はさぁルールだ、罰則だという方向へ動く)。
この書き手の、わからないことをわからないと受け入れられない、受け入れたくないというのはどちらかというと閉じた自己のなかの話(問題)なのでは。
書いているものを読んでも、自分の気持ちと理屈は並べられるのに、相手がどういう気持ちなんだろうかという想像がほぼ出てこないところが一方的すぎて、かなり特殊な(一方的な)関係性の持ち方だろうなと思う。他者との会話なのに、他者が存在していない。棍棒が少ない。
だから、あらかじめ他者とのあいだに問題があって〜というよりは関係性の持ち方(本人の内面と、そこから発する会話の持って生き方)に問題があるので問題が発生する。
おそらくここまで極端な人というのは珍しいのではないかと思うけど、なにかしら思い当たるところがある人もけっこういるので、これだけ話題にもなったのだろうなあ。
あと「答える」コスト(つまり負担に思うという感覚)は人によって(おそらく男女で)かなり違うんじゃないかとも。たとえばそのコストを避けるために「軽口」があるんだけど、「問う」側からすると答えを得られていないわけで、そこを不快に思う人もやはりいる。「問い」の内容の重さ(まじめに受け取るべきかどうか)と、「問い」そのものの重さ(なんであれ答えるコスト)。
あいさつが便利に使われるのはこのコストが双方にほぼゼロ(とみなされてる)だからだよね、あとLINEのスタンプ。(もちろんそこに過剰に意味をのっけてくるめんどくさい人というのもいて、一方的にコストを上げてくるわけだが)
しかしこの書き手のような人の「問い詰め」を読んでいて思ったのが、すこし前に話題になった「壁打ちの相手」というやつで(教師を相手に壁打ちの相手になってくれとはどういうことだ生徒よ、みたいな話)、まさにAI相手であればコストの問題は解決するのではないか(コミュニケーション問題が解決するわけではない)。
ちなみにわたしは離婚歴があるので(それが原因で離婚したわけではないものの)、コミュニケーション一般についてあれこれ偉そうなことを書いても信用してはいけない。


